逃亡くそたわけ
「……現在の日本文学全体においても稀有な、この素晴らしい作品=力(プロセス)に接して、元気にならぬ者がいるだろうか?」(渡部直己=文芸評論家 文庫版解説より)
「亜麻(あま)布(ぬの)二十エレは上衣(じょうい)一着に値する」
そんな謎の幻聴に悩まされる「あたし」が、
同じ精神病院の患者「なごやん」を誘って病院を脱走し、
旅をするさまを描いたロード・ストーリーである。
幻聴は、実はマルクス「資本論」の一節なのだが、
「あたし」はそんなことは知らないし、意味もわかっていない。
この幻聴が聞こえ始めてから、「あたし」は自殺を図り、躁病と診断され、
精神病院に入ることになった。
しかし、プリズンのような病院にいることに耐えられず、
ある日、その場にいた「なごやん」を誘って、無鉄砲な逃亡を図る。
「あたし」は博多弁をまくしたてる21歳。
「なごやん」は、名古屋出身なのに東京出身だと言い張る、鬱に悩む24歳のサラリーマン。
博多(九州北部)の精神病院から逃げ出したこの奇妙なコンビは、
絶えず襲ってくる精神の危機と闘いつつ、おんぼろ車でひたすら南を目指す。
道中、けんかをしたり、立ち寄った病院で先生に叱られたりしながら。
そして、鹿児島は薩摩半島の先に行き着いたとき、ふたりは病院に戻ることを決意する……。
迷走の果てに、心のカタルシスにたどり着く主人公たちの姿が、
元気とすがすがしさをもたらしてくれる作品である。
結局、彼らを取り巻く状況は何ら解決していない。
病院に戻れば退院は延びるだろうし、病も簡単には癒えないだろう。
それでも、無鉄砲な彼らの行動(九州をただ南下するという)、
そのプロセスをともに追っていくうちに、
自由で不確実なものと、自分を縛るものとの間は、
自分が思っている以上に自在に行き来できるのだと思えるようになる。
渡部直己氏は解説で、『「病とはプロセスではなく、プロセスの停止なのだ」と喝破したある思想家は、逆に書かれゆく言葉のきびきびとした「プロセス」そのものが、作家が、自分自身と世界とにもたらす「健康の企て」なのだと記している』とドゥルーズの言葉を引用している(『批評と臨床』)。
その言葉通り、素晴らしき「健康の企て」である本作は、
現代社会に生きる希望、救いのあり方を提示した力作である。
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